2020

03.21

スパンキングとSM

 なんだか、よく分らないけどもやもやする人たちが「スパンキング」で検索して、思ったとおりのものにたどり着くのは難しい時代になってしまいました。グーグル先生の仕分け方法が変わったせいでしょうか。多分、一番、望みに近い検索ワードは「お仕置き」なのかな。

 スパンキングで検索した場合に、わりと上の方に来てしまうのは、どうやってスパンキングへ持ち込むか、その時の上手な叩き方は?相手にスパンキングを好きになってもらう方法は?みたいな流れのコラム。これは、ノーマルさんたちがセックスの中で、ちょっと変わった愛撫としてスパンキングを楽しむにはどうしたらいいかって視点で書かれています。どうやら、ノーマル男性はバックで挿入しながらお尻を叩くのが好きらしい。
 それでもって、実際にやってみたら、思いのほか好評なのは、Mっ気の多い女性ということになっている。でも、それってノーマル女性のMっ気で、けして変態さん定義ではないような・・・。まあ、正常と変態の間には、限りなくいろんなグレーゾーンがあるのでそもそもそれに線引きするのは難しいのだけどね。

 さて、SMの中にもスパンキングはあります。海外で言うBDSMのDは、支配(Domination)もしくは懲罰(Discipline)。いろんな解釈があるんだけど、SMって懲罰じゃなくても鞭で打ったりするよね。だから、ものすごくその辺の行為の意味づけは曖昧。Sの解釈や気分で適当にやる人、厳格にルールを決めてる人。まあ、いろいろなわけです。

 じゃあ、ディシプリンスパンキングってなんなんだろう。なんで、ブログの題名に、スパンキングとSMって書いてあるの?
実は、(ディシプリン)スパンキングとSMの間には絶対に越えられないある歴史があるのです。それは、スパンキングは、ずっと日のあたる道を歩いてきたって事。学校で、家庭で、教会で。公に認められた教育・しつけの一環として、教師の、親の、夫の、使用人に対する主人の、権利と義務だったのです。

Spare the rod and spoil the

child


 鞭を惜しむと子供はだめになる。このあまりにも有名な聖書の中の言葉は、日本では「可愛い子には旅をさせよ」と訳されることもあります。まあ、実際に鞭で叩くことを想定した言葉だったかは分りませんが、あらゆる場面でこの言葉は繰り返され、実行されてきました。子供のために。もちろん、子供を叩くことが嬉しい訳ではありません。まっとうな人間にするために、涙をのんで、鞭打つわけです。
 それに対して、SMはどうでしょう。やはりアンダーグラウンドの世界のもの。サディストであることを認めることは社会的にもできないので、あらゆる機会を得て行われたとしても、いろんな包み紙で包み、隠されてきたのです。

 今では、教育現場で子供を叩くことは禁止されました。つまり、スパンキングもSMと同じように、ファンタジーになり、それを行うのはお互いに了解しあった大人という訳。
 それでも、まだ、実際に教師や両親に叩かれた事のある人は存在しているし、文学、絵画、映画、いろんな表現の中に、実際に行われてきた風俗として、ディシプリンスパンキングは描かれています。そして、スパンキングを性癖とする人たちは、それをセックスと結びつけることを避けて、その行為に「罰を受ける理由」付けをし、罰されて「許される」ことに価値を見いだしたりするわけです。


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Category: スパンキング
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